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Category2012年度 1/11

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死は勝利にのみ込まれた

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コリントの信徒への手紙一15章50~58節 15章ではイエス・キリストを信じる信仰者たちが、この世の終りの日・主イエスの再臨の時に復活して、新しい体・霊の体を与えられるという、信仰における究極的な希望が記されています。希望の根拠・保証はイエス・キリストのご復活です。主イエスは死ぬべき罪びとである私達の罪を背負って、十字架に架かって死んでくださいましたが復活され、私達の終わりの日に、神が私たちにも新しい復活...

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キリストの十字架への道

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マルコによる福音書15章33~40節 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)神に見捨てられる筈のない神の御子イエスが、見捨てられる直前の絶望と苦しみの叫びです。神というお方について私達が知る事ができるのは、壮絶なキリストの十字架を通してしかありませんでした。 神だから余裕があって主イエスを十字架に架けられたのではなく、断腸の思いで主イエスと共に...

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萎えた手を伸ばせ

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ルカによる福音書6章6~11節【祈りと試練】 『祈りとは私たちが自分の内に鑿(のみ)を当てて、キリストの似姿を彫りつつあること』であり、『試練とはキリストの似姿・神の似像になるまで神様が私たちを削って下さること』だと言われている。ヘブル書も主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるのだから、主の鍛錬を軽んじるな、主の懲らしめに力を落とすなと記している(12:5-6)。しかし主の与え給う試練は、世...

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わたしは何者だ

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マルコによる福音書8章27~38節 ペトロは主イエスに対して「あなたはメシアです。」(29節)と、完璧な信仰告白をしました。他の弟子達は、主イエスを人間レベルの英雄としか認識していませんでしたが(28節)、彼は主イエスをキリスト=救い主、生きておられる神の御子だと、心から称えたのです。しかし、その舌先渇かぬ内に、主イエスの御思いとペテロの思いは致命的にかけ離れ「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、...

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何でもはっきり見えるようになった

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マルコによる福音書8章22~26節 信仰者にとっての祝福の基は、信仰の目が開かれてイエス・キリストのお姿を見ることです。「主イエスと出会った私の人生は満たされ、いつ死んでも良い。」と、賛美したシメオンという老人の事が、ルカによる福音書2:25~32に記されています。彼は救い主にお会いするまでは決して死なない、と聖霊によりお告げを受けていましたが、いよいよ実現し、救い主である幼子イエスを抱き上げ神を賛美しまし...

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