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Category2011年度 1/11

何にも勝る十字架の力

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マルコによる福音書3章20~30節 神と人間を離そうとする力「悪霊、サタン、ベルゼベル」は、人間を支配し、滅びの死の世界へと引きずり込みます。人間の中に忍び込んで身体を占領して悪の住家とします。そうして人は心と情を捕えられ悪に支配されて、神に反逆して、罪のとりこにさせられました。その結果、誰もが「死」とから免れなくなってしまったのです(ロマ6:23)。この悪霊の権力から、私達自らどんなに努力しようとも...

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定められた道を歩む

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マルコによる福音書3章7~19節 主イエスがこれまで行われた病の癒しの業を求め、パレスティナのほぼ全域から「おびただしい群衆」が押し寄せてきました(7~10節)。彼らは自分の願いを叶えたいと、まじない師的なご利益宗教を求めていたのです。又、汚れた霊=悪霊・神から私達を離そうとする霊も、群衆と同じように正しく主イエスの事を受け止めていませんでした(11節)。主イエスが与えてくださるのは罪の赦しと永遠の命で、...

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メシアへの信仰

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ヨハネによる福音書9章35~41節 ヨハネ8~9章で主イエスは神の子メシアの本質のひとつ「光」を顕された。8章では「御言葉」なる「光」を以て人々に罪を悟らせ、ここ9章で主は「御業」を以て人々に「光」をお与え下さる。そしてイエスをメシアと認めないファリサイ派の言葉「我々も見えないということか(40)」は私たちへの警鐘である。(1)肉の目を開く主【シロアムの池に行って〈あなたの目を〉洗いなさい】 主イエスは生まれつ...

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束縛から愛の原則へ

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マルコによる福音書3章1~6節 本日の箇所は、主イエスが安息日に手の萎えた人を癒された事が記されています。ファリサイ派の人々は神の御心を悟ろうとしない所か、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことは、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(4節)と、主イエスの問いにも答えようともしませんでした。いや、律法に束縛されている自分達の姿が浮き彫りにされ、答える事ができなかったのです。そのような...

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神が見ておられるパン

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マルコによる福音書2章23~28節 「安息日を心に留め、これを聖別せよ。・・・7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない・・・主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(出エジプト20:8~11) 安息日は神によって創造された全てのものが神の祝福を受ける時です。又、イスラエル民族が奴隷状態にあったエジプトから救い出してくださった神の恵みを思い起こし、感謝して主を褒め称える日です...

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