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キリストの内にいる者
2011/08/28(Sun)

フィリピの信徒への手紙3章8~11節


 パウロは「主にあって(口語訳)」という言葉を好んで用いた。新共同訳では「主によって」「主を信じている」「主に結ばれている」等々と訳されている。私たちも手紙やメールの結語に「在主」「主にありて」と用いる。しかしこの言葉はパウロがキリスト者の信仰の在り方を指し示す大変重要な語句である。パウロはダマスコ途上で復活のキリストと出会い、劇的回心を遂げた人物である。彼の価値観は大逆転し(3:7・8)、心はキリストに捕えられ(3:12)、キリストの内にいる者(9)となった。彼に限らず、人は誰でも神に出会い、或いは復活のキリストに出会うならば、価値感は逆転し、心は主に捕えられ、主の中にいる者となる。パウロと同様、詩139篇の作者も神に出会い、捕えられ(139:10)、神の中にいる(139:18)と告白している。

 ところがパウロは自分自身を「既に完全な者となっているわけ」ではないという。キリスト者の目標は「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得ること(14)」即ち「終わりの日に携挙されて永遠の生命を頂く」という「救いの完成」を自分の目で見ることであり、そのためには私たちが神から「キリストの内にいる者と認められること(3:8・9)」が絶対条件だと教える。パウロは「キリストの内にいる者」という状態を「主にあって」と表現し、私たちに徹底的にこれを勧めているのである。

 キリスト者がそして教会が「主によってしっかりと立ち続ける(4:1)」ならば私たちは終わりの日に救いの完成を見ることが出来る。また、「主において同じ思い(志)を抱いていれば(4:2)」エボディアやシンティケのように仲違いや分裂騒ぎは起こり得ない。更には、万が一、教会内に兄弟姉妹に仲違いが起きても、そのことに心痛める私たちが「主によってしっかりと立つ」即ち、キリストという信仰の岩、主イエスの地所の中に踏み留まり続けるならば、私たちは争い合う当事者たちを支え助け、〔正しい道へ〕引き戻す「(神の日にも明らかな)真実の協力者(4:3)」となれる!と主はパウロを通して私たちを励ましておられる。主に在って生きる者となりましょう。在主

キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。
フィリピの信徒への手紙3章8節b~9節a

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この地に存在し生かされている私
2011/08/21(Sun)

マタイによる福音書章5章13~16節


 「あなたがたは地の塩・世の光である」(13,14節)と、主イエスは仰せられます。地の塩・世の光になりなさい、という命令ではなく、既に「~である」と、権威をもって宣言されています。あなたの存在は廻りに影響を与え、変える事ができる、かけがえのない存在であるという断言です。

 塩も光もそれぞれの目的の為に用途があるのと同じく、私達の存在も神が目的をもってこの地に遣わされています。多くの人は幼い頃から自分の為に沢山の事を積み上げて、自分の倉に良いものを詰め込むような生き方をしています。しかし、自分の為ではなく、神を証ししながら廻りに影響を与える為に、あなたは既にここに存在している、と宣言されています。このお言葉を聞いた人々は特別な人々ではなく、目の前にいる私達と同じ群衆です。「何の力もなく、失敗ばかりしているようなつまらない人間だ・・・」と、うなだれているようなこの私に対して「あなたは地の塩・世の光である」と宣言しております。

 光とは良い行いを指します。人は神の作品であって、良い行いができるように造られています(エフェソ2:10)。「・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(16節)良い行いや立派な行いとは、自分を立派に築き上げて人格者になる事ではなく、こんな罪深い私の為にイエス・キリストの十字架によって罪赦され、永遠の命を頂いた、という喜びと感謝から湧き上がる言動を指しています。私の言動を通して神を知らない滅びの中にいる人々が救われて神を感謝し、賛美する者として廻りが変わる為にここに存在しています。神は難しい事は要求しておらず「今の自分があるのは、神の力です」と、自分の為に甦ってくださった主イエスを賛美し喜んで生きている、この生き様をこの世に示していく事です。

 神を褒め称える事ができなくなった教会は教会の存在の意味を失います(13節後半)。キリストのものとされている私達が神を賛美し、喜ぶ存在として「地の塩・世の光」として今、ここに遣わされています。教会に招かれている者でしかできない役割を担っている私達である事に感謝します。
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キリストの心
2011/08/14(Sun)

ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節


はじめに:人間をこよなく愛する父なる神の御心(ヨハ3:16)と「キリストの心」は常に一つです。キリストはその愛ゆえに、十字架の血潮によって全人類が本来の清き姿に戻り、神の国へ無事帰国することを望まれました。その御心は「わたしの心だ。きよくなれ」(新改訳マタ8:3)との御言葉によって端的に示されています。主は弟子たちに「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハ13:34)と命じて「愛の律法」をお与えになりました。

第1: あなたがたは“霊”に導かれて生きていますか?(ガラ6:1)
 ガラ5:16-26に基づいて吟味しましょう。
「はい」あなたに結実した霊の実「愛」と「柔和」を以て、兄弟姉妹を正しい道に立ち帰らせなさい。あなたなら出来る!主が望んでおられます。
「いいえ」→(彼らと同様に)あなた自身も(あなたの肉の欲望に)誘惑されないように、まず自分に気をつけましょう。(6:3-4,7-8に注意。)

第2:互いに重荷を担い合い、キリストの律法を全うしょう(ガラ6:2)
 「重荷」とは罪に悩む心。信仰の歩みが弱く誘惑されて罪を犯してしまう悩みです。しかし私たちには尽きせぬ愛が注がれています。愛する兄弟姉妹が罪に悩んでいて、どうして見過ごしていられるでしょうか。互いに悩みや苦しみを打ち明け、同情し、涙し、祈り支え合う。その時すでに私たちはキリストの律法を全うし、キリストの香りを放つ「愛の人」なのです。

第3:めいめいが、自分の重荷を担いましょう!(ガラ6:5)
 「自分の重荷」とは「自分の罪の結果に対する責任」です。「他人に対しては誇ることができない自分」「自己に誇るべき物が何ひとつない自分」とは、「自分の罪深さをハッキリと認めることができた人」です。

おわりに:私たちは今朝もう一度「キリストの心」を覚えました。「わたしがあなたがたを愛したように」という愛の深さを以て、互いの重荷を担い合い「キリストの愛の律法」を全うし、キリストの香りを放つ「愛の人」とされたい、“霊”に導かれて生きる者へと変えられたいものです。日々、祈り求めましょう。
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最後まで耐え忍ぶ者は救われる
2011/08/07(Sun)

マタイによる福音書10章16~25節


 主イエスは色々な機会に、迫害にさらされる弟子達に対して心構えを教えられました。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(22節)夜明けは必ず訪れ、最後は神の祝福の御手の中にある、これが神の約束だと。

 「耐え忍ぶ」とは、「留まる」という言葉からきています。先が見えない中、一人で歯をくいしばって耐え忍ぶのではなく、信仰に留まる=イエス・キリストに留まり続ける事によって、既に用意されている栄光を頂く事を意味します。主イエスご自身が、十字架上で人間の罪の為に耐え忍んで勝利を得た苦難が土台となっています。お苦しみになられたその御足の跡を踏むことが信仰者の歩みで、そこに勝利は備えられています。(24~25節)。

 「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され・・イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(Ⅰペトロ1:7) 試練の時に信仰が揺さぶられますが、そこを通って信仰が本物であるかが明らかにされます。苦しさの中に踏み留まる事で、負えない重荷を主イエスが負ってくださり、闘えない闘いを闘っていてくださる事をいよいよはっきりと知る者とさせて頂きます。うなだれ、失望の中にいる者から感謝する者へと変えて頂き、感謝する心が耐える力となっていきます。そして苦しみの中に大きな祝福が隠されている事に感動し、いよいよ本物の信仰と本物の希望を見出す事ができ、その時に人は変えられます。このように本物を見出すという事は一朝一夕という訳にはいきません。

 「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛に耐えるなら、それは御心に適うことなのです。」(Ⅰペトロ2:19) この闘いは神が与えておられ、逃げる事はできませんし、境遇が変わったからと言ってどうなる事でもありません。しかし、主イエスが「何をどう言おうかと心配してはならない。・・言うべきことは教えられる。」(20節)と、助けてくださり、「・・他の町に逃げていきなさい。」(23節) と、最終的な判断を示してくださいます。 今、置かれたこの場で主イエスの元に踏み留まって、「最後まで耐え忍ぶ」という、かけがえのない時間の中に身を置かせて頂いている私達は感謝です。
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