2015 / 02
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使徒言行録5章1~11節

佐々木良子牧師


 教会が誕生し迫害はあったものの順調に成長してきたかのようでしたが、教会の内側から問題が起きました。「なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。」(3節)「サタンと」は、神と人を離そうとする悪の力です。この戦いはいつの世もついて廻るものです。教会の為、神の為と心を尽くしている内にサタンに心を奪われてしまい本末転倒になってしまう事が多々あります。

 4章32~36節では、貧しい人々の為に自分の持ち物を売ってお献げするという麗しい人々の姿が記され、その代表格のような存在がバルナバでした。アナニアとサフィラは刺激を受け、自分たちの土地を売って献げたのですがこれがサタンの大きな誘惑だったのです。土地を売った全額を献げていないにも拘らず、全てのように嘘をついたのです。彼らの行為は神を喜ばすものではなく、人々の称賛を得るためで、いわば、見栄の為に神を利用した行為でしたから大きな罪を犯す事となったのです。「人が冒す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒涜は赦されない。」(マタイ12:31~32)神を誤魔化す者、神を畏れることが欠如している人への警告です。

 神への献げものは全てを献げよという規定はありません。むしろ旧約聖書には1/10と言われていますから、一部であっても十分であった筈です。「5つのパンと2匹の魚」が主イエスに献げられた時も、少年がイエスさまに、持っているものをありのまま喜んで捧げた時、その場にいた5000人以上もの人が全て満足したとあります(ヨハネ6:9~13)。心から感謝して神にお献げするものを神は喜んで用いてくださいます。「あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ」(マタイ6:21)富は悪いものではなりませんが、富は地上で腐らせることもできますが、天に積むこともできます。富が天に積まれた時、心も天に向いて開かれ祝福はそこから注がれます。

 アナニアたちのように神の愛に向かわず、嘘をついて自分以上の自分を演じていくなら、祝福どころか霊的に死んでしまうことになってしまいます。私たちは罪深いものであるにも拘らず、神にありのままに受け入れられているのですから、神の前に嘘偽りなく感謝をもって生きていきたいです。人々の前に自分を大きく見せようと思った時はサタンに心を奪われている時でもあります。
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使徒言行録4章32~37節

佐々木良子牧師


 「一人ぼっちのクリスチャンはいない」と、私たちが属しているホーリネスの群の源流であるジョン・ウエスレーという人は語りましたが、正にその姿が本日の箇所に記されています。初代教会の特徴は大きく分けて、1,心も思いも一つ(32節) 2,財産や持ち物を献げ(32節) 3,主イエスの復活を証し(33節) 4,貧しい人たちへの配慮(34節)がありました。

 心も思いも一つになるとは、皆で仲よくうまくやって与えられるものではなく信仰によるもので、それが信仰共同体としての教会の姿です。教会はイエス・キリストを信じた人々の群を指し、十字架と復活を自分との関わりの中で受け止め、主イエスの導きに心から感謝して従っていく人々の群です。そしてクリスチャンになるとは洗礼を受けてキリストに結ばれるだけではなく、神の家族としての仲間に入り、共に祈り支えられながら天国を目指して歩んでいきますから、一人ぼっちのクリスチャンはいないという事です。

 ドイツ・バイエルンの農村の教会に35年務めたヴィルヘルム・レーエという牧師は「この地域の人々は、たとえ、立派に生きることができなかったとしても、立派に死ぬことを心得ておりました」と語ったそうです。死を迎える仲間を孤独にせず、その魂の配慮に生きることが、教会の群がするべきこと、キリスト者であれば、誰もがすべきことであると言います。クリスチャンの最期は、皆が心を合わせて神の御言葉をお聞きし、祈り賛美して天国へ旅立ちます。教会だからこそできる慰めと恵みと希望です。皆が一つ思いとなって主なる神を仰ぎ感謝し恵みを頂く究極の時といえます。

 誰もが立派に生きる事などできないものです。又、成功する人、挫折する人、様々な人生があります。しかし、教会に生きる者として最期を迎える道を弁えているという事は共通です。内村鑑三の愛娘ルツ子姉は19歳で天国へ凱旋しました。最期に「もう行きます」と終え、埋葬の際に内村は「バンザイ」と言ったと言われています。立派に死に、立派に送った者の姿と言えます。

 正に教会での葬儀とは立派に死んで行く人と立派に送る人が一つとなる時です。人間の力ではなく神の力が支配する所に人間の思いを超えた一致を体験させて頂きつつ、尚、心も思いも一つとなって歩んでいく恵みが教会にあります。そうして一人一人の心に神の愛が染み渡り、整えられていきます。

使徒言行録4章23~31節

佐々木良子牧師

 初代教会とその後の約250年は、過酷な迫害の連続でした。しかし、イエス・キリストに忠実なキリスト者たちが信仰に命を賭け教会を守り、信仰の灯を点し続けられた事により今のキリスト教が存在しています。

 その勝利の秘訣の一つは祈りです。初代教会の歴史は「祈り」の言葉で埋められていると言っても過言ではありません。目の前の迫害者に目を向けるなら、その人の憎しみ敵意が見えてきたと思います。「あなたがたには苦難がある、しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)「…キリストの苦難とそれに続く栄光…」(Ⅰペトロ1:11)とありますように、諦めずに勝利者イエス・キリストを信じ、最後まで祈り続けた彼らでした。キリスト者は嵐や試練の中、どのような時も主イエスが共にいてくださることを信じているからこそ安心して大胆に祈ることができます。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(使徒4:29~30)捕われの身となったペトロとヨハネは、釈放される時に福音を語る事を固く禁じられました。にも拘らず、自分たちの安全を祈るのではなく、更に大胆に伝道することができるように祈り求めたのです。

 その背後にある力は信仰の仲間、祈りの仲間でした。「さて、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った…主よ、あなたは天と地と海と、そしてそこにあるすべてのものを造られた方です。…」(24節)危機的状況の中で、主なる神に全幅の信頼を寄せる事と、「心を一つ」とする仲間がいた事が迫害をも恐れない大胆な祈りへと導いた事でしょう。

 更に迫害をも恐れない恵みがありました。「…見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(4:20)神の希望に満たされた人々は苦しみの先にある大きな喜びを知っていますから、困難な状況であっても恵みを語らずにはいられないのです。人生には様々な問題や試練、不当な苦しみや悲しみがありますが、それにも勝った恵みを知る者は幸いです。どのような時にも大胆に恵みを語らずにはいられない信仰者でありたいです。

使徒言行録4章1~22節

佐々木良子牧師

 キリスト教の歴史は迫害の連続で殉教者も多く出ましたが、尚、このように2000年以上も福音が世界に宣べ伝えられているのは、神の言葉が真実であるという事が証明できます。又、どのような暗闇であっても絶望的状況であっても、神の御前に生きるならば、恐れるものは何一つないということをペトロは証ししています。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(19~20節)

 いよいよ伝道が本格的に開始されましたが、ペトロとヨハネはユダヤ人の最高議会に尋問を受け捕われました。しかし、「聖霊に満たされて」主イエスを大胆に証ししたのです。かつて主イエスは、捕われの身となっても聖霊が語らせてくださるから心配する事はない、と仰せになった通りです(マルコ13:9~12)。常に神に向かって生きている者には、必ず神の助けがありますから恐れる事は何もありません。しかし、ペテロといえば、主イエスが十字架に架けられる時、3度もキリストを知らないと、見捨てて逃げてしまった人です。しかし、彼は死者の中から復活されたキリストの希望の恵みを体験し、全く違う人間に変えられていました。それまでは人を恐れ自分の身を守るために主イエスを見捨てることをも厭わない者でしたが、神を畏れる者とされた彼は危険をも顧みずイエス・キリストの十字架と復活を証しする者へと変えられたのです。

 「…ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということが分かった…一言も返せなかった…脅しておこう」(13~18節)議員たちは聖書の専門教育を受けていない二人が聖書を自由に用いて大胆に語っている姿に圧倒され、そこに主が働いておられることを理解しました(10~12節)。議員たちは神を知る事となったと同時に自分達が完全に信頼を失う事を恐れ、更に厳しく脅かし始めました(17節)。しかし、ペトロたちは屈することなく更に大胆に語り続けます(19~20節)。神の前に生きる姿と人の前に怯えて生きる対照的な姿です。大切なことは自分が置かれている状況ではなく、そこで何を信じ、何を考え、どのように生きていくかという事が問われます。神に向かう生き方をペテロたちは示す事となりました。主イエスは「人に惑わされないように…」と仰せられました。

小松川教会HP委員会

Author:小松川教会HP委員会

小松川教会は、「聖書は神の言葉、全人類にとっての救いの言葉」と信じる健全な聖書信仰に立つプロテスタント教会であり、全国に約1700余教会ある日本基督教団に属しています。
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澤田武主任牧師

澤田武主任牧師


澤田武主任牧師


澤田直子牧師