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イエス・キリストの十字架刑
2014/04/13(Sun)

マルコによる福音書15章33~41節

 佐々木良子牧師


 「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。」(33節)主イエスの最期は暗闇の中で苦しまれ、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)と、壮絶な叫びの中で息を引き取られました。

 この叫びは私達が叫ばなければならなかった言葉です。しかし、私達が見捨てられる事がないように、神の愛の中で生きるために、ご自身が全人類の罪を背負って、身代わりに神から捨てられたのです。この叫びと同時に私達は知らなければならない事実があります。神殿の垂れ幕が上から下まで裂けたと記されていますが、それは罪の暗黒の世界は終わり、光が差し込んだ新しい世界がスタートしたという象徴です(38節)。この主イエスを自分の救いと信じる時、決して神から見捨てられる事のない幸いの中に入れられるのです。

 十字架上の主イエスに対して人々はあざけり、ののしり、負け犬と見ていました。その中でたった一人、壮絶な叫びと人々の無理解から目を背けずに全てを見届けたのが百人隊長でした。「本当に、この人は神の子だった」(39節)と、信仰告白に至ったのです。この告白は十字架につけられた主イエスを見つめた者だけが得られるものです。輝く栄光のお姿ではなく、神の子としての栄光を捨てて、屈辱の死に御身を引き受けられたお姿が心を変えさせたのでした。

 パウロは主イエス・キリストの十字架について語っています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(コリントⅠ1:18)パウロがどんなに迫害されようが、痛めつけられようが、彼を強くしたのは十字架につけられたイエス・キリストです。

 気象予報官には屋上派と地下室派の二つのタイプがあるそうです。屋上派は空を眺め風を確かめて実況に照らしてデーターを修正しますが、地下室派は部屋にこもって資料と睨めっこし、解析技術は高いですが雨が降っているにも拘らず平気で晴れと予報し、実況に無頓着だという事です。私達が知らなければならないのは、神について、罪について、復活について、様々な知識やデーターではありません。十字架につけられた主イエス、それも引き受けられたその痛みと屈辱というむごい事実から目を離してはなりません。」事実をこの目で見る事によって主イエスのお苦しみの大きさ、壮絶な叫びは、この世での私達の暗闇の叫びを思ってくださる神の愛の深さを知る事になるからです
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