新しいぶどう酒の恵み

2012.02.19 10:30|2011年度

マルコによる福音書2章18~22節



 旧訳の古い律法・掟はイエス・キリストの十字架の犠牲によって、私達の罪を清算してくださった救い主が共にいらしてくださる、という事によって全く新しくされました。それは神が招いてくださった祝宴の喜びに与るようなものです(2:13~17、19)。放蕩三昧した罪人が父なる神の元に戻ってきた時、神は「食べて祝おう」とも記されているごとく(ルカ16:11~)神からの恵みと祝福です。主にあって喜ぶ事こそ私達の真の誠実です。ユダヤ人の伝統的な信仰生活「~であるべきだ」という古い形式的なものを突き破った新しい恵みです。

 この新しい恵みの信仰に生きる為に神が望んでおられる事は、私達に新しいものを古いものに当てはめるような愚かな事をせず、私達自身が新しくされる事です。「だから、キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5:17)

 その譬えとしてぶどう酒の話をされました。「・・だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(22節)新しいぶどう酒を古い革袋に入れたら、ぶどう酒はまだ盛んに醗酵し続けているので、弱くなっている古い革袋はそれに耐えきれずに破れ、両方とも駄目になってしまいます。古いままの自分ではせっかくのイエス・キリストの恵みがだいなしになってしまうのです。

 この話のきっかけは、断食についての論争が起きた事でした。旧約聖書には断食について「苦行」と表現されています。目的は神に対して悔い改めを現す行為で、救われる為の手段でした。しかし、古い律法に縛られていたファリサイ派の人々は苦行難行して断食する事が救いの目的となり、神の赦しの恵みよりも自分が悔い改める事が御手柄のようになっていました。

 「花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」(20節)主イエスが捕えられ十字架につけられた時、初めて罪の赦しを知る事となりました。断食に代表されるような形式的で伝統的な信仰のあり方ではなく、罪の赦しの恵みの中で真実な悔い改めができるようになった私達です。悔い改めは私達が胸を打って断食をする事ではなく、イエス・キリストの十字架の恵みに触れて初めて為される行為です。人間側の罪の自覚ではなく、自分の罪を知らない事を神に訴え、罪を神から示され新しい恵みの中を歩む私達です。
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