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イエス・キリストこそ私の救い主
2012/09/02(Sun)

マルコによる福音書5章1~20節



 何か分からない力に支配されどうにもならない重圧の中、苦しみに押し潰されるような経験をしたことがあると思います。人間のコントロールを超えた力に振り廻され、精神を不安定にする力と言いえ換える事もできます。そのような力を聖書では「汚れた霊・悪霊」と表現しています。

 本日の箇所ではこのように汚れた霊に取りつかれて、一人の人間として認めてもらえず、墓場でしか生きる場所がなかった男が登場します。人との交わりから隔離され、鎖でつながれた足枷をも引き裂き、自分で自分を傷つける生き方しかできませんでした(3~5節)。しかし、主イエスは「汚れた霊、この人から出て行け」と命じられ(8節)、「人が服を着、正気になって座って」と、失われていた命が回復された事が記されています(15節)。「服を着て」とは、正常な人間として社会生活と人間関係が回復した事を示していますが、単にあるべき姿に戻ったというよりも、主イエスによって、かけがえのない者として見出された事を私達は発見するのです。

 「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」(7節)男を通して悪霊が発した言葉です。悪霊が恐れるのは、主イエスの権威ある言葉です。1~12節のやりとりに注目すると、主イエスと悪霊の一騎打ちです。弟子達ですら出る幕はありませんでした。人間が為す術は何もない状況の中、対抗できるのは神の権威のみです。その為に「向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」(1節)と、主イエスの方から、悪の只中のこちら側においでになりご自身が闘ってくださったのです。喜ばしき勝利です。

 しかし、自分達の財産である豚を守る事に必死で、この救いを喜べず主イエスを追い出そうとしている人々がいます(15~17節)。彼らはかつての汚れた男と違い、豚を飼育してまともに働き、まともな人間と思っていたでしょうが、墓場に住んでいた男と同じで、神なき世界に住んでいるこの世の姿です。

 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マルコ8:36)神なき世界は、死で終わりの墓場に居るような世界と同じです。主イエスの罪の赦しによる命に与る場が私たちの居場所で、そこから全てが始まります。かつて悪霊にとりつかれた男に「主が憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」(19節)と、主イエスは仰せられました。私達にも与えられた使命で、伝道の業を担っていく私達です。
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