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けがれを清める
2013/02/17(Sun)

ルカによる福音書5章12~16節



 イスラエルの人々は重い皮膚病を神の御業(出4:6-7)、神が怒りを下し(民12:9-10,王下5:27,15:5,代下26:19)、神のみが清め給う(民12:11-15,王下5:14)と考えた。人々は儀式的に身体の汚れを水で洗い清めたが、重い皮膚病だけは自力で清められなかった。この不治の病に冒された者は宿営の外に独り野宿し、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、不用意に近づく者に向かって「ターメー、ターメー(わたしは汚れた者です。汚れた者です)。」と悲痛な叫び声を上げた(レビ13:45-46)。私たちも傍目には敬虔なキリスト者、罪から遠く離れた者のようだが、心の内は罪・咎・汚れに満ちている。それは自責の念に苛まれ、無言の悲痛な叫び声を上げている私たち自身が、誰よりもよく知っている。

●「御心ならば」という信仰…ある町の外に全身重い皮膚病の人がいた。彼はこっそり町に入り、イエスを見つけ、地に額をすりつけ、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と祈り求めた(12)。彼の行為は、神以外に頭を下げず(出34:14)、神のみが重い皮膚病を清め給うというユダヤ人の常識を逸脱していたが、主イエスを神と崇め、自分の汚れを告白し、清めを求める彼の信仰を主は喜ばれた。

●「よろしい、清くなれ」…誰一人として触れようとしなかった彼に、主イエスは躊躇なく御手を延ばして触れ、「よろしい(=わたしの心だ=私は望む)、清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った(13)。イザヤ53:4aの如く、主は彼の病と汚れを担われたのである。「よろしい、清くなれ」は「よろしい、あなたの重い皮膚病も私が全て担おう。あなたは清くなれ。」との意である。

●主を信じ、清めて頂こう…私たちが外見上の「敬虔さ」や「自尊心」を脱ぎ捨てて、主に平伏し、心の内に秘めた罪・咎・汚れを赤裸々に主に告白し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と祈り求めるならば、私たちがどんなに罪・咎・汚れに満ち、誰からも見放されていようとも、主は私たちを深く憐れみ、触れて抱きしめて下さる。私たちの病を担い、汚れを引き受け、私たちの苦しみ・痛み・悩み・悲しみ・哀れを知り、涙して下さる。私たちは「よろしい、清くなれ」との御声とともに、たちまち清くされるのである。それがイエス様の御心であり、イエス様の望みである。主イエスがこの地上に来られた目的は、私たちを清めること、私たちの罪を取り除くこと、そして天の御国へ、真白く清められた私たちを神の子として天のお父様の所へ帰すことである。私たちが祈り求めるならば、主は必ず私たちを清めて下さる。主を信じ、主の十字架の贖いを感謝し、全く清めて頂こう。主の恵みを世の全ての人に宣べ伝えよう。在主
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