2009_01
17
(Sat)22:17

苦難の中の慰め コリント2 1:3~10


「わたしたちは神に希望をかけています」(10)を2009年の教会標語とさせていただきました。この言葉は様々な苦難を通して体験的に習得したパウロ自身の確信であると共に、キリストに在る私たちの確信でもあります。パウロは苦難が何故与えられるかとの疑問に答えております。その理由は苦難を通して神からの慰めを得た私達は、その慰めをもって同じ苦難にある人に慰めを与える者とさせていただくために、神は敢えて苦難を私たちにお与えになられるお方であるということです。


パウロは神よりの慰めをキリストの関連において述べようとします。(5)私たちが神よりの慰めが与えられ、失望せざるを得ない状況に陥りつつも、何故希望をもって生きることができるかと言うと、キリストが私たち罪人のために十字架上に命をささげ、苦しんでくださったからに他なりません。どのような苦難であれ、どのような深刻な問題を抱えていようとも、それに優るところの神の慰めがキリストを通して与えられるというのが、パウロ自身経験を通して与えられた確信でした。


教会とは慰めの共同体です。精神科医で牧師であられる山中正雄先生は、ストレスに打ち勝つ方法として、第一に「休養」、第二に「静かな心で神に対すること」、第三に「同じ使命を持つ仲間を発見すること」を挙げておられました。世の中には孤独な人が沢山おられますが、しかし教会には仲間がいる、共に信仰生活を続けている人々がいる、それを確認することによって、新しい状況に対応する力が与えられるのだと言うのです。


パウロにとっての希望は死者さえを復活させてくださる神にありました。ある聖書研究者によると達磨の原型は、主イエスの復活を信じることの弟子トマスであると言うことでした。あの達磨から引き出すメッセージは「七転び八起き」です。それが事実ならば実に信仰的な意味合いが込められています。トマスは信仰的に躓き、絶望を経験しました。そして主イエスを三度も「知らない」と否定したペトロに復活の主イエスが現われ、三度、「あなたはわたしを愛するか」と問われました。傷を抱いていたペトロに対する赦しの招きであったと共に、主よりの慰めを頂いた出来事でもありました。トマスやペトロがそうであったように、キリスト者は七度転ぼうとも、立ち上がることができます。なぜならば「わたしたちは神に希望をかけているからです」
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