2013_04
07
(Sun)10:30

キリストにある平和

ヨハネによる福音書14章1~6節



 聖書はキリストを通して与えられる神の救いの物語で、聖書全巻を通して「わたしのもとに来なさい」と、神の元に私達を招いておられます。私達が為すべき事は、一生懸命頑張って救いを得て、天国に辿り着くものではなく、イエス・キリストを信じ・信頼する事だけです。「信じる」とは、理屈ではなく自分の人生を主イエスに委ねる事、全身全霊をもってキリストについていく事を意味します。イエス・キリストの命の中に留まり続ける事で、そのまま私達はやがて永遠の命の世界へと移されるのです。

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(1節)
全く見当もつかない未来に対して、兎に角やってみなさい、きっとどこかに行き着くからら大丈夫と、おっしゃっているのではありません。明確に「わたしを信じなさい」と言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(6節)と、ご自身を表現されています。「道」とは神に向かう道、「真理」とは、罪の赦しをもたらす真理、「命」とは永遠に神と共にある命の事で、これら全てを備えておられるのが主イエスです。私達が父なる神の元・天国に行く為に、死に至るまで神に従順に十字架の道を貫き通して三日目に復活された事を示されています。主イエスが歩んでくださった道であるが故に、必ず神の元へと通じています。

 私達が教会に集い神を礼拝するのは、生活を良くするためでも、良い人になる事が目的でもなく「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。」と週毎に信仰告白をしている如くで、これがキリスト教の信仰、私達の信仰です。その結果、内面が変わり、生活が変わり、人生が変えられて祝福の中に入れられていくのがキリスト者です。ですからキリスト者はどんな困難な力が迫るとも、たとえ自分の命が取り去られるような死の力が襲ってくるとも、心を騒がせることなく、平安の内に歩める恵みが与えられています。心騒がせる事なく神を信じ、委ねる道が全ての人に与えられています。

 その保証として、「…あなたがたのために場所を用意したら、戻ってくる」(2~3節)と、約束が記されています。イエス・キリストは私のような者の罪を赦し、天国に居場所を確保して迎えに来てくださるという、確固たる約束をしてくださっていますから何も恐れる必要はありません。心騒ぐことなく唯、信じる事によって平安な日々を歩ませて頂ける恵みに感謝です。
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