2017 / 04
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マルコによる福音書12章1~9節



 主イエスはそのご生涯で多くのたとえ話をなさいましたが、本日の箇所はご自身の十字架の死を見つめた最後のたとえ話です。神とイスラエルの民の長い歴史を述べたもので、神に選ばれたイスラエルの民の歩みは神に反抗し続ける歩みでした。主イエスは「・・・預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった」(ルカ13:34)と、仰せられます。このように神の愛の応える事のできない人間の罪の歴史をぶどう園の譬えとして話されました。

 このたとえ話のぶどう園の主人は神で、最後の愛する息子とはイエス・キリストの事です。農夫は祭司長や律法学者等イスラエルの指導者たちで、度々遣わされた人々は、旧約聖書から続く預言者達の事を現しています。神はご自分の民が何とかして神に立ち返り信仰の実を実らせようと預言者を送り続け、遂に最後には神の独り子であるイエス・キリストを送ってくださいました。しかし、自分達の罪を救う為に十字架の道を辿られる主イエスに対して人々は侮辱し、唾を吐き葦の棒で頭を叩き続け、ののしり続けるという、人間の罪深さを目の当たりにします。さらに「さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」(9節)と、やられたらやり返すだろうという、浅はかな人間模様まで記されています。この世の縮図、罪びとである私達の生き様を見るようです。

 しかし、主イエスはこのような人類の罪を暴くために語られたのではありません。「・・・これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」(11節) 罪びとへの愛の限りを注ぎ続け、与え尽くしてくださった神の深い愛の逆転劇を示されました。私達が主イエスを拒否し見捨てようとも神の真実は変わらず、主イエスを私達の為に教会のかなめ石として尊く用いられ、十字架が輝いています。「主は言われた。彼らはわたしの民、偽りのない子らであると・・・愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔から常に彼を負い、彼を担ってくださった。」(イザヤ63:8~9節)人間の不従順さに拘らず神の慈しみと真は永遠に変わらず、更に私達の苦難を常にご自分の苦難として背負いながら、愛してくださっています。私達の目に不思議と見える大逆転劇が起こり続けています。
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小松川教会HP委員会

Author:小松川教会HP委員会

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