神の目と人の目

2014.02.09 10:30|2013年度

マルコによる福音書12章38~40節



 キリスト者がどのような言葉を発し、どのように振舞うかは、その人の信仰を垣間見るようなものです。

 主イエスは群衆たちに律法学者達の後ろ姿を見送りながら「律法学者に気をつけなさい。長い衣をまとって歩き回ることや・・・見せかけの長い祈りをする。・・・」(38~40節)と、律法学者達の振舞に目を向けさせました。律法と伝統の研究者である彼らは、人から注目され認められる事で自分を保とうと必死に生きていたのです。彼らの関心事は常に人の目でした。

 「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントⅠ6:19~20)

 神を信じる私達の中には聖霊が宿っており、私達が生きるのではなく、神が私達を力強く生かしてくださっています。神を真実に信じ神の愛を受けているなら、全てを尽くしてくださった主イエスの眼差しの中で生かされ、自ずとキリストを証しする者とさせて頂ける筈です。しかしながら、私達もこの律法学者の如くに、神が私をどう見ておられるか、「神からの評価」の中に生きる事に不徹底なものと言わざるを得ません。「私が、私が」と力んで自分を保とうとする時、神の御言葉に従う力、律法に従う力を失っています。

 イエス・キリストこそ人からの評価、人の目に全く支配されずに、神の道を真っ直ぐに歩まれたお方です。君臨するのではなく仕える事によって主イエス御自身がその身をもって神の御心を示してくださいました。人の評価を求め続ける生き方から、確かな神の愛の中で生きる道へと私達を導いてくださる唯一の救い主です。

 目に見えるものは、より優れる、より強い、より大きい目に見えるものに打ち負かされます。しかし、目に見えない聖霊なる神に依り所を置き、主イエスと日々交わっているならば、奪われるものは何一つありません。却って神からの評価、神の目の中で生きる者とさせて頂ける幸いを感謝をもって体験させて頂けるのです。「誇る者は主を誇れ。自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。」(コリントⅡ10:17~18)
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小松川教会は、「聖書は神の言葉、全人類にとっての救いの言葉」と信じる健全な聖書信仰に立つプロテスタント教会であり、全国に約1700余教会ある日本基督教団に属しています。
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