父からの約束
2014/09/07(Sun)

使徒言行録1章1~6節

佐々木良子牧師

 「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」(4節)父の約束とは、主イエスが天の父の元に帰られた後、ご自身の代わりに私たち達を弁護し、助け、永遠に共にいてくださる真理の霊とも呼ばれる、聖霊なる神を送ってくださるというものです(ヨハネ14章)。「わたしは世の終りまで、いつもあなたと共にいる」(マタイ28:20)とありますが、これは聖霊なる神と共にいてくださるという事です。旧約時代から預言されてきた聖霊降臨の約束ですが、間もなく成就するからエルサレムを離れないで、待ちなさいと主イエスは弟子達に命じられました。

 待つとは、ある時が来るまで行動に移さないでじっとしている事です。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」と神は仰せになりましたが、「しかし、お前たちはそれを望まなかった。」と続いています(イザヤ30章15節)。待つ事ができない人間の姿が、繰り返し聖書に記されています。殆どの場合、待ち望みながら、どうしてもそうしようとは思わず、自分の欲望に従って生活している場合が多いと、ある人は言います。待ち望みながらも期待していないという事です。

 デビット・シーモンズ著者「恵みを知らないクリスチャン」という本の中で「人間が神に明け渡さなければならない最後の砦は、自分は自分で救えないと認めることだ。」と指摘しています。信仰とは「私は何もできない」只、主の恵みによるすがるものだと結論づけています。私たちが救われたのは、神の一方的な恵みです。私たちが何かを考え出したものでもなく、主体はあくまでも「神」で、救いの根拠は神にあります。神は主の恵みにすがって、助けられて歩むことを待ち望んでおられます。聖霊なる神の力を無視したり、待ち望まないで始められた人間の働きは長続きせず、期待する実も結ぶ事もできません。

 主イエスは私達に「自分の力でやりなさい」と、この世の荒波に放り出されるのではなく「わたしが共にいて、力を与え、あなたを助けるから、その時を待ちなさい」と仰せになります。こうして弟子たちは今度こそ神の言葉に従い「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」(28:31)と、教会を建て上げていきました。主なる神の御業に与るのに大切な事は「待つ」事です。  
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