みんなに分かる言葉

2014.10.19 10:30|2014年度

使徒言行録2章1~13節

佐々木良子牧師

 臆病で主イエスを裏切った弟子たちは聖霊に満たされると、全く別人のようにイエス・キリストの十字架と救い・復活を大胆に証しする者へと変えられました。証し人という言葉が後に殉教を意味にするようになった程に命を賭け、命を献げてキリストの復活の証人としてその生涯を全うしたのです。自分の事を守る事しか考えていなかった弟子たちは、自分の命をも差し出す者として生きる道を歩み始めていきました。

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされて、〝霊〞が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(1~4節)人間の知恵や言葉では十分に説明しきれない神秘的な状況に捉われるのではなく、信じて心合わせて祈った弟子たちに注がれた神の圧倒的な豊かな恵みを見る事が大切です。「ほかの国々の言葉で話した」とは、外国語を皆が話すようになったという事ではなく、全ての違いを超えて、神の言葉が自分たちの国の言葉によって心の奥底に届けられたという事です。

 「わたしの言葉」ではなく、「神の言葉」だからこそ誰もが自分達の母国で理解し合う事ができるのです。聖霊によって通じ合う存在に変えられ、新しい世界が開かれていきました。

 その出来事が具体化して世界中に主の教会が誕生し、大勢の人々が救いに導かれていきました。教会が聖霊によって誕生したという事は、教会は人の思いや計画、人種を超えて聖霊に導かれていく群れであるという事です。私たちは毎週礼拝毎に使徒信条を告白しています。「・・・我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の命を信ず」

 聖霊はともすると感情的で高揚するものと考えがちですが、感覚ではなく「聖霊を信ず」との如く意志表明、告白です。この聖霊なる神が、今度は私たちを用いてイエス・キリストの十字架と救いを語らせ、人々を導いて信仰に至らせることを期待しておられます。「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ5:19)聖霊なる神を信じ、神の恵みの言葉を語り合う事により、十字架と復活の証し人とさせて頂くのです。
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テーマ:聖書・キリスト教
ジャンル:学問・文化・芸術

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