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3月1日 礼拝説教概要 東海林昭雄牧師
2009/03/07(Sat)
「目覚めよ」 マタイによる福音書 24章36~44節

 ⑴主イエスはいつ再臨されるのかは、父なる神以外の誰も知りません。故に信仰生活は待ち望む日々の生活であると言えます。主イエスが与えてくださる平安をもってその時を迎えることのできる人は幸いです。
 私たちは魂に平安を得るために試行錯誤しますが、この世において幸せを保証するように見えるものをどんなに獲得したとしても、死後の魂に平安を与える保証になるものは、何一つありません。
 真の平安は主イエスと出会わなければ決して得ることはできないのです。

 ⑵主イエスは「だから、目を覚ましていなさい」と命じられます。私たちにとっての信仰の一歩は何だったでしょうか。それは罪深き自分を見出すことであったはずです。
 F・キンローは、ある印象深い説教者のことを霊想録に書いております。その説教者は講壇に女性を呼んで、彼の持っている水の入ったコップを思いっきり揺さぶるように指示しました。その結果、水は零れ落ちました。そこで彼は彼女に「どうしてこのようになったのでしょうか」と尋ねると、彼女は「私が腕を揺すったからです」と答えると、彼はこう語りました。「違います。水がこぼれた本当の理由は、コップの中に水が入っていたからです」と語り、こう続けました。
 「職場にイライラさせる人がいたとしましょう。しかし問題はイライラさせる人にあるのではなく、ただあなたの心の内に存在しているイライラの要素をかき立てているに過ぎないのです。
 罪はあなたの内側から始まります。誰かがあなたよりほんの少し早く昇進しただけで、自分の内に嫉妬心が燃え上がるのに気付きます。嫉妬心は最初からあなたの内側にあるのです。先に昇進した人は既に宿っている嫉妬心を表面に浮かび上がらせただけなのです。あなたの内に存在しないものを引き出すことは誰も出来ません」というメッセージを聞いたキンローは、このように結んでおりました。
 「全ての人の心は聖霊によるきよめの業を必要としています。私たちをイライラさせたり、怒らせたり、嫉妬心をかき立てたりする人がいることを神に感謝すべきかもしれません。そういう人は私たちの内に潜んでいるものを教えるために神が備えられた道具なのです。イライラさせるその人が、私たちの心の実態を映し出し、心に染み付いた汚れをさらけ出す時こそ、その心を全く洗いきよめて純白にしていただく絶好の機会なのです」と。

 常に信仰の目を覚まし、神のみ言に耳を傾け、そして主イエスの再臨がいつ来ても慌てることのないように、神を信じる心を守り続けたいものです。
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