2017 / 04
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使徒言行録7章44~53節

佐々木良子牧師

 ステファノが語る説教を連続して見て参りましたが、本日の箇所は締めくくりの部分です。彼を訴えているユダヤ人の指導者たちに対して、「あなたたちは神に選ばれ特別な民のしるしとして身体に割礼を受けていても、中身がない。あなたたちこそが神を冒涜しているのだ」と、自分たちこそ正しいと思っている彼らの罪を一気に厳しく指摘しています(52~53節)。

 「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく・・・内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であって、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神からくるのです。」(ローマ2:28~29)とパウロも語っているように、神の言葉を聞き、割礼を受けている者が神の前に正しいのではなく、これを実行する者が正しいとされるのです、ただ、割礼を受けるだけ、神の御言葉を聞くだけでは人は何も変わらないのです。反対に割礼を受けていなくても神の前に遜り喜んで神の御言葉を信じて歩む者を神は喜んでご自身の民としてくださるのです。ステファノを訴えている彼らは、神の民だと自分たちを誇り、神を誇り、神の教えを説きながらその教えに生かされていませんでした。彼らの信仰は形だけで神の恵みからは程遠いものだったのです。

 そこでステファノは、旧約聖書に記されている神殿の前身である「幕屋」と後のソロモンの時代に立てられた「神殿」を通して、神の本質について語りました。幕屋は元来「臨在の幕屋」と呼ばれ「わたしはその場所であなたたちと会い、あなたに語りかける。わたしはその所でイスラエルの人々に会う・・・」(出エジプト27:12)と記されていますように、神との出会いの場でありました。神殿も同じように、建物そのものが大切なのではなく、神の御前に出て罪の赦しを乞う事ができ、神との交わりに生きる者とさせて頂く場でした(48節)。

 信仰に生きようとするなら、神の御前における自分の罪とどうしても向き合わざるを得ません。しかし、神殿で神と交わる旧約の時代は去り、イエス・キリストの十字架の贖いによって豊かな赦しを頂いている新約の時代に生きている私たちです。今、愛と恵みの神が私たちの内に住んでおられます。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(コリント一3:12)本当に神を知るならば、いつも我が内に住んでくださっている神の憐みと慈しみに感謝する者とさせて頂けます。
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Author:小松川教会HP委員会

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