目からうろこ

2015.07.19 10:30|2015年度

使徒言行録9章1~19節

佐々木良子牧師

 一般的に驚くような気づきを「目からうろこ」と表現されていますが、その由来は本日の聖書からで、霊的に目が開かれることを意味します。「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。・・・主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」
(8,17,18節)

 このような霊的体験をしたのは、キリスト教の迫害者であったサウロ、後のパウロです。イエス・キリストとの出会いによって霊的に目が開かれ。信仰を与えられて主イエスの十字架の道に従い続け、最大の宣教者となった人物です。これは教会の歴史を変えた大きな出来事で、パウロの神学の中心部である全ての原点がここにあると言われている程です。

 聖書の至る所で彼自らのことを「神を汚す者・暴力をふるう者・激しく神の教会を迫害する者」等と語っています。その理由は、十字架上で惨めな死に方をしたイエス・キリストをメシア・救い主として崇める信仰は間違いでユダヤ教を汚す事だと考え、教会を迫害することが神に仕えることで正義だと間違った確信から生まれたものでした。

 しかし、「…突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」(3~4節)とあります。「光」とは、神の栄光の輝きの象徴で、この瞬間に復活された主イエスに出会わされて頂いたのです。、悔い改めて新しい人生を与えたのではなく迫害している最中に、神は彼を選んでおられました。神の救いは人間がどんなに逆らっていても、救われるために何一つ備えがなくても、一方的に私たちを選んでくださっておられます。神のご計画は計り知れないものです。

 この時彼は全く視力が奪われ、他人の手を借りなければ一歩も歩くことができなくなりました。神はそのような者にアナニアという助け手をお与えになり彼を通して、十字架にお架かりになった主イエスは、敗北者ではなく実は甦られた勝利者であり、自分の救い主であることに目が開かれたのです。彼は神の愛の中で生きる人間へと180度方向転換し、神にお遣えする者となりました。この神の憐みと選びと救いが、いつも私たちに向けられていますから幸いです。
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テーマ:聖書・キリスト教
ジャンル:学問・文化・芸術

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