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エマオの食卓で
2016/04/03(Sun)

ルカによる福音書24章28~35節

澤田武師


主題聖句 『二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。』 24章35節

 エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かっている二人の弟子に復活されたイエス様は近づかれました。

 復活されたイエス様は、多くの弟子たちにはっきりとそのお姿を現してくださり、いつもと同じく名前を呼ばれ、挨拶をされ、食事も共にされました。

 しかし、二人の弟子の目は「遮られていて、イエスだと分からなかった」と、記されたています。何によって弟子たちの目は遮られていたのでしょうか。また、なぜ、イエス様だと分からなかったのでしょうか。

 ここで重要なことは、彼らの目指すエマオの村への道のり以上に、彼らの心はイエス様から離れてしまっていることです。

 彼らはイエス様の弟子として、迫害を受けるかもしれない不安の中にあっても、他の弟子たちとエルサレムに留まることが出来ました。しかし、女性の弟子たちが告げた、「イエス様の遺体がなくなっている。」天使が伝えた「イエスは生きておられる。」この事実は彼らには「驚き」であり、それは「つまずき」に変わり、エルサレムから離れる決断をします。それは彼らが思っていた「真実」ではなかったからです。

 「やり取りしているその話は何のことですか。」イエス様は、離れて行こうとする心に、交わりを求めます。それは、イエス様が奇跡を願う者に問いかけた「何をして欲しいのか」との問いに通じるところがあります。「物分りが悪く、心が鈍い」イエス様は旧約聖書から真の「救い主」の姿を彼らにお語りになります。

 エマオの食卓で、イエス様は弟子たちにパンを裂いて与えられました。その時、裂かれたパンこそ罪の贖いのために死なれた、イエス様御自身であることが分かりました。彼らはすぐに、「心は燃えていたではないか」と、本来歩むべき道を歩み、留まるべき現場、エルサレムへと戻ります。

 私たちも遣わされて行きます。お一人お一人が遣わされたところへと、進んで参りましょう。エマオの生活には、信仰の戦いはありません。しかし、イエス様は居られません。遣わされた所にイエス様は共に居られます。
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