2017 / 05
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使徒言行録20章25~38節

澤田 武師

主題聖句 『そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。』 32節

 パウロは今、愛するエフェソの長老たちを前にして、「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」エフェソの教会を、この後は、「長老たちあなたがたに、その働きの全てをゆだねます。」とはっきりと伝えます。なにか冷たい言い方に聞こえますが、「ゆだねる」ことは「確信」と「決別」です。

 「神の教会」とはイエス様の血の贖いによって初めて得られたものです。そこにわたしたちも招かれました。わたしたちも全て、「神の教会に属する者」です。パウロの願いは、エフェソの教会が「神の教会」としてあり続けることです。

 「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」との言葉を残してパウロは去ります。「生ける神の言葉、生ける神の恵み」は、信仰者の基礎を新たにし、真の信仰者を造り上げてゆきます。そして、真の神の教会を造り上げる者として、共に歩む者として、イエス様が教会に与えられた永遠の命を受け継ぐ者としても強められます。この確信によって、パウロは、「ゆだねる」ことが出来るのです。

 この勧めは、信仰者の理想の姿を言い表しているとも言えます。「ゆだねる」自分の経験や実力を頼りにしないのは、結構むずかしいことです。パウロは、全てが「聖霊」から出たもので、今ここから去ってゆくこと、残るエフェソの教会へ与えられる新たな試練、それも導きであって、だからこそ、御言葉にゆだねきって、今去って行くことが出来ると伝えます。残るあなたがたは「わたしがあなたがたに教えてきたことを思い起こし、目を覚ましていなさい」パウロの命令です。しっかりと御言葉により頼んで歩むことを勧めます。「聖霊」はあえて困難な道を選ばせ、損をすると思う方に進ませることがあります。

 「受けるよりは与える方が幸いである」パウロほど、イエス様を宣べ伝えるために「与えられ」、命さえ「与える」ことを惜しまなかった者はいません。

 そう考えてみると神に「ゆだねる」ことと、「与える」ことは、同じではないかと思います。神を信じているからこそ「ゆだね」「与える」ことが出来るのです。

 この説教を読むたびに、多くの者たちの別れの涙が、キリスト教を世界へと伝えて行った原動力の一部となっていたことを覚えます。「散らされる」ことは悲しいものですが、それは「聖霊」による再スタートになります。わたしたちも、「聖霊」によって贖い取られた者として感謝して歩んでいるのか。「神とその恵みの言葉」にわたしたちが「ゆだねきっているか」もう一度思い出してみましょう。
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小松川教会HP委員会

Author:小松川教会HP委員会

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