キリストに満たされる
2017/01/01(Sun)

エフェソの信徒への手紙1章20~23節

澤田 武師

主題聖句 『教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の
        満ちておられる場です。』      エフェソの信徒への手紙1章23節


 昨年は世界的に見ても、自然の驚異が人々を苦しめ、世情も急激な変化を始めました。この先の歩みには不安が高まります。そして世界はなおも戦争、テロ、貧困、差別と様々な名前によって支配され、その権威の下にあります。

 22節~23節「キリストを頭として教会にお与えになった。教会はキリストの体」であると述べられています。神は私たちが経験する、あらゆるものの上に立ち、あらゆる時代に「キリストの名」を示される方、全宇宙の上に立つ「頭」として教会にキリストを遣わし、キリストの名を置かれました。

 パウロは、「教会」は信仰的確信において一致する人々が集う事によって成立するのではない、と述べています。パウロは宇宙の頭としてのキリストが「満ちておられる場」として教会が立てられ、「キリストの体なる教会」として、世に存在すると述べています。

 キリストの体なる教会が既に存在し、人はそこの中に入ることによってキリストと共に現実の中で生きることが出来るのです。「すべてにおいてすべてを満たしている方」。私たちが共に存在することこそ「キリストの体なる教会」を作り上げて行くことになります。神はこの働きを私たちに託されました。

 教会は現実の世界で信仰に生き、信仰によって喜び、苦しむのです。神はキリストによってこの世を満たそうとしておられます。キリストの名を世界に示そうとしておられます。その働きを私たちに託しておられます。
キリストは一人一人の歩みに満ちたいと願っておられます。そして教会がキリストに満たされ、共同体として成長するために、私たち一人一人の霊的成長を願っています。

 キリストはすべてにおいてすべてを満たす方であり、あなたの信仰生活の成長にキリストはいつも満ちておられます。困難な時代だからこそ、教会も、私たちもすべてにおいてすべてを満たしている方に、満たされた歩みの一年でありますように。

*2017年小松川教会 教会標語聖句
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