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神の癒し
2017/08/06(Sun)

エレミヤ書17章5章14~18節

澤田 武師

主題聖句  「主よ、あなたがいやしてくださるなら わたしはいやされます。」  エレミヤ書17章14a節

 「四重の福音」その三番目の「神癒」とは、「神様が私たちの病を癒してくださる」ということです。

 聖書は旧新約問わず、魂の問題と同時に、私たちの肉なる「存在」、この「からだ」と「こころ」をもって、「日々の生活」をしている私たちそのものにも関心があることを記しています。

 私たちは日々苦しみを感じて生きています。その中でも病気は、風邪程度のことであったとしても、体にも心にも痛み苦しみを感じさせるものです。聖書には病気の癒しという記事が多数記されています。今も昔も病気が人々を苦しめるものであることが示されています。

 イエス様の十字架と復活によって、人の罪は赦されます。これが福音であり神様の救いですが、それは心の問題だけでなく、人の全体に関係します。イエス様は奇跡として体の癒し、心の癒しをされました。その御業は私たちの祈りによって、今も私たちの日常の中で、体験される出来事となっています。

 また「神癒」は神様の恵みと憐みによって、私たちに健康な体と魂を与えてくださることであるとも言えます。

 私たちは弱さをもっています。体の弱さ、心の弱さ。それは悪いだけのことではありません。日々健康である、その恵みの姿を改めて知るとのできるのは私たちが弱くなった時です。その弱さの中に、神様は「癒しの御手」を伸ばしてくださいます。私たちの弱さはそこに神様の癒し、そして、そこに生かされている「私の存在」の意味を、改めて教えてくださるということです。

 エレミヤは、「神様が癒してくださるならば、神様が救ってくださるならば」と、神様の言葉にすべてを委ねます。エレミヤを嘲る者からの言葉は、エレミヤを縛り続ける苦悩の痛みとなり、それは迫害の傷であり、心の痛みでもあります。それでも「あなたは避けどころ」とエレミヤは最後まで訴えます。

 この世も病んでいます。そこにも「癒し」の御手は伸ばされています。
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