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6月7日 礼拝説教概要
2009/06/16(Tue)
新生 「灰の代わりに頭の飾りを」 ローマの信徒への手紙6:15~23 イザヤ書61:3・10~11 

 人は罪に仕える奴隷か、神に仕える奴隷かどちらかであると言います。
私達の内には様々な欲望があり、生まれながらの人間は皆その思いに引きずられている罪の奴隷であるといいます。目の前の楽しみ、一瞬の喜びは知っていますがそこからは何も見出す事もなく実りもなく、人には言えないような恥ずかしい事ばかりです(ロマ6:21)。
 このような人間を神は放っておくわけがありません。神の一方的な憐みと愛によって、罪人を救う為に愛する御子イエス・キリストを十字架にまでつけてくださいました。イエス・キリストを救い主と信じる者は誰でも罪から救われて神の者とされ、罪の奴隷から解放されて神の奴隷とされます。暗闇の中から神の光の世界へと移されて、全く新しく生まれ変わった者とされるという事です。
 神の奴隷とはこのようにマイナスイメージではなく、この世にはない恵みを指します。しかし、つまずく事もあり、罪に転ぶ事もありますが、光の中に照らされているから誰でも起き上がる事ができます。

 ルターという人はキリスト者の生涯は悔い改めの世界である、と述べています。光の中にいるから例え罪を犯したとしても、罪に振り回されて終わりではなく、神の元で悔い改めをしながら人は整えられていくという事です。
 神の奴隷へと移された者とは、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(ガラテヤ3:27)との如く、キリストの正しさの衣を着せて頂いています。罪から救われた者はキリストの輝かしい恵みの衣で覆われています。その姿は世界で一番貴く注目を浴びるべき存在で「花婿のよう輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。」と記されています(イザヤ6:10)。かつては灰をかぶるっているような姿でしたが、今や輝く者とされているから樹齢を重ねる樫の木のように胸を張って歩んで良いのです(イザヤ6:3)。人生の嵐にもまれ、季節をめぐり、年を重ね、それでも私達は救いの衣を着せて頂いていますから、神の栄光を現していきたいものです。
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