2009_09
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(Sat)19:06

8月23日 礼拝説教概要

「孤独は祝福の始まり」 創世記11章1~9節  

 ノアの洪水物語の後、人類が増え共通の言葉を持ち始め、レンガやアスファルトを用いるようになり人類の発展を迎えた時(1~3節)、「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」(4節)と考えました。「有名になろう」とは、神の専権事項で「神のようになる」(創世記3:5)という蛇の誘惑の言葉と繋がります。神の位置に立とうとする事は、人間の能力が神に並ぶ地位を得る事で、神の助けを求めないという事です。神を排除しこの世界を支配しようとする傲慢さの現れです。アダムとエバの罪・カインの罪・ノアの洪水物語の罪を今迄見てきましたが、バベルの塔の罪は人間の神への反抗が決定的になったと言われています。人間の高ぶりを放置しておいたら人間はとんでもない所に行くという事から神が介入し、言葉の混乱を起こし予防してくださいました(6~9節)。このように人の言葉の混乱は神の救いの意志が働いています。

 言葉の混乱は単に言葉が通じない事ではなく、意思疎通が量れないという意味です。一番理解し合っている家族ですら遠い存在に思え孤独に陥り、意思疎通の限界を感じるものです。人間は所詮一人、と思いますが一人にされた所で神と出逢う事ができます。神は人の悩み・苦しみを全てご存知で、神を頼って神の門を叩く事を求めておられます。神の助けを求めず自分や人の力に頼って満足しようとする事はバベルの塔を築く事と同じ行為です。人は神を求めて神から助けて頂きながら生きる存在である事を知る為に私達はバラバラに散らされています。

「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。」(マタイ7:7~11)。人の行く手にふさぐ門が沢山ありますが、門を叩く度に神が恵みの中へ迎え入れてくださり、慰められて生きて行く事ができる私達です。多くの人が孤独の中の闘いにありますが、その孤独の中から生き始める事が祝福の始まりです。全知全能の神に感謝です。
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