2017 / 04
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「保留するものなし」 創世記22章1~19節


イスラエル人の信仰の父祖となったアブラハムは、主なる神より「わたしが示す地に行きなさい。」(12:1)とのみ声に行く先の知らずに従っていきました。神はアブラハムに約束の通り大いなる祝福を与え、一層豊かな者となりました。諸国の人々も神の祝福を得ている者と認めているほどでした。妻サラによって大いなる約束の実現の息子イサクが誕生(21:1~2)するには、アブラハムが100歳となるまで実現されませんでした。息子イサクを与えられ、神様の約束の全てをいただいたアブラハムであります。どんなに大きな喜びであり、大きな期待をもって歩みはじめた事でしょう。主なる神の約束によって満たされている中に、神はアブラハムを試された(22:1)のです。神のアブラハムへの命令は、「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを…焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(22:2) イサクはアブラハムの未来を象徴するものでした。アブラハムはこれまでも神の約束の光の中を生きてきました。ところが今、神は彼の生涯をかけた約束さえもささげるようにと求められます。アブラハムは、手中に握っている最も貴重な二つを主に喜んで明け渡しました。息子と未来です。最も重要なものを明け渡す心の姿勢に立つまでは、真に御霊に満たされることはありません。心の中で無条件にキリストが第一となるまでは、御霊の満たしは実現しません。私たちが求めるべきことは、主イエス・キリストと共に歩むゆえに与えられる本当の自由・御霊の満たしです。私たちの信仰の歩みに支障を来す要素があるならば、神に与えられた祝福さえも神に差し出す決意が必要です。神が喜ばれるのは、すべてのもの、すなわち職業、財産、地位、そして家族などを自分で握りしめることなく、開いた手のひらに乗せ、神に差し出し続ける人です。心にしっかりと握り続けるべき唯一のものは、ただ神ご自身のみです。主は与え、主は取られることを、私たちが心から納得することを、神は願っておられます。キリストのみが私たちの保証です。
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小松川教会HP委員会

Author:小松川教会HP委員会

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澤田武主任牧師

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