2017 / 04
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「喜びの復活」 ヨハネによる福音書20章19~29節



 聖書には多くの事が記されているように見えますが、実は、主イエスが十字架に架けられた事と復活の出来事について集約されているのです。「弟子達は主を見て喜んだ」(20節)と、主の復活は何にもまして主にある平安、喜びと希望、一切の根源です。しかし、疑いのトマスと呼ばれている弟子の一人は主イエスの手の釘跡とわき腹の傷にこだわり、見て触れなければ「・・・私は決して信じない」(25節)と断言しました。疑い・不信の念を抱き主の復活を信じようとしない人間の姿が現されています。「疑い」とは心が分かれる事で信仰の欠如、神への信頼の問題と言われています。


 「戸にはみな鍵がかけてあった」(26節)と、仲間や神をも信じないトマスは心の鍵を作り頑なでした。主イエスは信じる事ができない者を咎めるのではなく全てを御存知で受け止めてくださり、不信の壁を突き破って「あなたの指をここに当てて、私の手をみなさい・・信じない者ではなく信じる者になりなさい」「わたしを見たから信じたのか、見ないで信じる人は幸いである」(27,29節)と今日も語っております。


 神の大きな愛は人間のあらゆる疑いにも優っています。人間の罪の救いの為に自ら犠牲となって十字架に架かってくださった救い主の真実、手の釘跡とわき腹の傷を負ったまま復活されたのがその証拠です。主イエスの復活を信じ、その神の愛を身に受けて永遠の命を頂いているから、困難な中でも希望を持ってそこに踏み留まれる力があるのです。


 不信仰で疑い易い私達に「あなた方はしるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(ヨハネ4:48)と、主イエスは語っております。時に応じてその御業を見せてくださいますが、最も大いなる出来事が復活で、主イエスの真実がトマスの信仰を呼び起こさせ「私の主、私の神よ」(28節)と告白しました。私達は今、精一杯の歩みを続けていますが、イエス・キリストの復活の力と命がどんなに大きいと信じているか改めて思いたいものです。
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小松川教会HP委員会

Author:小松川教会HP委員会

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澤田武主任牧師

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